鶴岡八幡宮(鎌倉)・2011年卯の干支絵馬と大銀杏

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2010年3月10日、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊してしまいました。このご神木は、源公暁(くぎょう)が源実朝(鎌倉幕府三代将軍)を暗殺するとき後ろに隠れていたことで有名。いわば歴史の生き証人です。それだけに、失われてしまった寂しさは相当なものではないでしょうか。あれ以来、私は何か胸の詰まるような感じをおぼえ、ずっと鎌倉には足が向かずにいました。

ですが、夏も盛りの先日、たまたま用があって鎌倉を訪れた折に、ふと鶴岡八幡宮の授与所で絵馬をチェックしてみたら、気付いたのです。2011年の干支のうさぎの足元に、銀杏の新芽が描かれていることに。芽が出はじめたのは2010年4月だそうです。絵馬のわきには、大銀杏の枝で奉製されたお守りも置かれています。この様子を見て私は急に少し救われたような心地になり、かつて大銀杏のあった場所をこの目でしっかり確かめてみようと思い立ちました。

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黒いカバーがかけられ痛ましい大銀杏の姿。二箇所に分かれているのは、倒れた大銀杏を3つに分けて、元の場所には上のほう2つを保存し、根元から高さ4 メートルまでを7メートル先に移植したためです。近づいてみると、根元を移植したほうには、大きな絵馬が掲げられていました。

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「大銀杏の芽吹きを祈る大絵馬」鶴岡八幡宮鶴の子会による奉納ということです。がんばれ、元気になってね、もとのように大きくなってね、と子どもたちの温かなメッセージが寄せ書きされています。復活再生への力強い願い。それは2011年の今を生きる私たちの思いとシンクロしているように見えてなりませんでした。奇しくも大銀杏の倒壊から丸一年、そしてその向こうがわに続いているこの夏。無力な私には祈ることしかできません。

何ともいえない気分になった私は、せめて新芽を見たいと石段を昇っていきました。この黒い幕の裏側を、大銀杏が元あった場所の少し上あたりから見下ろします。すると、たしかに見えました。幕の合間に目をこらすと、幹の周りに天を向いて生え出た何本もの細かい枝を、小さな緑の葉が覆っています。この瀕死だった大銀杏に皆の祈りが届いて命が芽吹いたということ、それ自体がまた祈りであるかのように思えてなりません。世界中あらゆる喪失からの再生あらんことを。

穴八幡宮(東京)・猿年

穴八幡宮・申年

午(うま)年?いいえ、申(さる)年です。
どうみても馬が主役っぽいから、まぎらわしいけど。

そもそも絵馬は神社に馬を献上するかわりとして出発したものだから、馬が主役なのは自然なこと。
特に八幡神は武士の守り神なので、各地の八幡神社では今でも神馬や木馬を目にすることは多いはず。

それにしてもこの猿、馬を引っ張っている割にはずいぶんと腰の低い印象です。
せっかく干支だというのに「どや顔」することもなく、目立たなすぎて完全に馬に食われてしまってます。
だけどあえて情けない感じだからこそ、日々頭を下げて周りを気にしなければならないことが多い現代人には、なんとなく共感できるものがあるかも。

実はこの絵柄、「河童の駒引き」という伝承がもとになっています。河童がいたずらで馬を池や沼の中に引きずり込もうとするのですが、逆に馬に引っ張られて負けてしまうという少々間抜けなお話。地域によっては河童と猿を近いものとみなすところもあるので、同じような「猿の駒引き」もあるというわけ。いずれも干支とは関係なく、馬を捧げる代わりとしての絵馬の絵柄のバリエーションでした。この穴八幡宮の絵馬は、猿年だし八幡宮だし丁度良いということで、これをモチーフに選んだのでしょう。

河童は水神の零落した姿ともいわれており、そんなエピソードをルーツに持つ絵柄は、水神に馬を捧げるという絵馬の原型的な営みを彷彿とさせます。その中にみえる、一種の情けなさ。馬は人間の飼っているもので、かつ神様の乗り物とされます。河童から猿になると、こちらも少し人間に近いような気がしてくるけれど、それでもやはり野生の生物。馬と、河童あるいは猿との対決は、人間と何か言い知れぬ大きな力との葛藤の物語なのかもしれません。

新井薬師梅照院(東京)

新井薬師

これは「向かい目」という図柄で、眼病平癒を願う意味が込められています。
「め」という文字をこうやって並べると、ごらんのとおり何ともそれっぽいじゃありませんか。
へのへのもへじ、みたいな。昔は眼病も今よりだいぶ治りづらかったわけですから、深刻な悩みをこうやって楽しくさらっと表してしまうあたりは江戸人のユーモアですね。

向かい目の絵馬は、大抵は薬師如来に奉納されます。
薬師如来といえば病気平癒のご利益ですが、「十二大願の第一である光明普照」というのが経典にあるため、光といえば目ということで、眼病平癒を前面に押し出すことは多いようです。

たとえば仏像好きのあいだで妙な目ヂカラがあると言われてひさしい「新薬師寺の薬師如来像」も、聖武天皇の眼病平癒を祈願してつくられています。

この絵馬は東京の新井薬師梅照院というお寺で出しているもの。徳川の2代将軍秀忠の娘、和子の眼病がこの寺の霊験によって回復したため、江戸中で評判になったということです。

黒い枠付きでしかも手描きという、古めかしくて大変味のあるこの絵馬は、紐がついていないため(一応、辛うじて通すところはありますが)、賽銭箱の上などに枠の足を引っ掛ける形で奉納されています。奉納されている数自体はそれほどでもなかったと思うので(賽銭箱の上は狭いし!)、民芸品としての美しさからお土産にされる方も多いのではないでしょうか。これだけ江戸情緒を色濃く残した個性的な絵馬が、東京の割と便利な場所で入手できるというのは貴重だし、末永く続いてほしいものです。

大行院(東京・浅草)

大行院1
大行院2

とても小さなお寺である。雷門をくぐり、仲見世を抜けて浅草寺宝蔵門のすぐ左わきだ。
不動明王と三宝荒神と地蔵菩薩を祀っている。

浅草寺の陰に見落としてしまいそうな場所だし、お堂はいつも閉まっている。
かろうじて納経所・授与所の狭い小窓が開いているくらいで、どうも敷居の高い雰囲気。
だが、それにもかかわらず線香の煙が絶えない。

目立たないながら、絵馬もびっしりと掛けられており、地元の信仰が根付いた元気なお寺なのがわかる。絵馬は、遠目にみてなんだか丸っこいので一瞬しゃもじかと思ったが、よくみると違う。地蔵菩薩の持ち物、宝珠をかたどったものだ。同じ形で大小二種類のサイズが用意されている。

絵馬掛け所を少しのぞいてみると、病気平癒祈願が多かったように思う。地蔵菩薩は庶民の身近な悩みの味方。これだけ小さなお寺で、身に迫った願い事が多く託されているというのは、地域の信頼が厚い証拠だろう。だからこそ、絵馬もわざわざ珍しい形のものが作られたにちがいない。

二荒山神社中宮祠(栃木県)・デコ絵馬

バリバリメジャーな観光地の真っ只中、日光は中禅寺湖畔の二荒山神社中宮祠に、なにやら楽しげなコーナーが。

デコ絵馬1

絵馬掛け所のようだが、なんだかカラフルでポップな雰囲気。
近づいてみると・・・

デコ絵馬2

「良縁の鐘 仮設 絵馬掛け所」
「あらゆる良い縁を願う!良縁の鐘の祈願絵馬」

なるほどキャッキャウフフな感じ。

良縁の鐘というのはどこにあるのかわからなかったけど、仮設というくらいだから建設中なのかもしれない。

それにしても、二荒山神社のエンターテイメント精神はものすごい。東照宮方面にある二荒山神社でも、神苑がちょっとした大国様テーマパーク状態だった。ここ中宮祠でも、幸せの黄色いハンカチを奉納するところがあったり、かわらけ投げがあったり、森の中に色んな標語を書いた札がぶら下がっていたりと、枚挙にいとまがない。この絵馬掛け所の背後でも、ペットボトルにパッケージングされた御神水を冷やして売っていたりするし。



さて、この絵馬の特長はなんといってもコレ。

デコ絵馬シール
「お好きなシールを貼って、オリジナル絵馬を作って、絵馬掛け所にお掛けください」


とりあえず、皆様の「作品」を見回してみる。

デコ絵馬1

これなんか、ナカナカ可愛らしい。

デコ絵馬3

左のは、シールが枠からわざとはみ出してるあたり、いい発想してる。
右のも、絵が可愛いくシールとなじんでいてセンス良いし、「的にあたりますように」というのが意味わからなくて不思議ちゃんちっくでナイスだ。


せっかくだから、自分も適当に作ってみることにする。

デコ絵馬びふぉあ

最初はこんな感じ。

なんかシールは可愛いのからほとんど使われちゃっててあんまり選べないなぁ…。

というわけで、とにかくぺたぺたしてみた。

デコ絵馬あふたー

私はあくまでコレクターだから、これでただ持って帰るだけなんですけどね。

だけどそれにしても、こういうのって子供に戻ったみたいで楽しい。
好きなシールをひたすらぺたぺたしてもいいなんて機会は、大人になるとそうそうない。
一人でもこんなにウフフなんだから、これはカップルで一緒に作ればさぞや浮かれまくりだろうな。

こうやって「デコる」というのも、すでにだいぶ前の流行りという感はあるものの、女性の欲望をダイレクトに反映しているように思う。用意された気軽で可愛らしい素材を使って手を動かすということを通して、自分らしさを発揮する快感がそこにはある。

絵馬で祈願するというプロセスの中に「デコる」ことが組み込まれる。なんだか願い事にも、そんなふうにオリジナルさをプラスアルファしたぶん、他にはない新たな力がこもりそうな気がしてくる。

日光江戸村のへんな絵馬

日光江戸村にある絵馬堂を模した建物に飾られていた大絵馬。
あまりにもアレだったので載せとこう。

十二支キメラ

ありえない十二支キメラ。シュールすぎる!
一応こいつには「寿(ことぶき)」という名前があり、瑞獣ということでもてはやされた時期もあったと。
世のブームって時々なぞだよね。





ついでだから、これも。

へんな地獄

日光江戸村の地獄巡りのところに絵馬掛け所を模して地獄絵図っぽい絵馬を色々飾ってるコーナーがあるんだけど、そのなかの一枚。たぶんなんか地獄っぽいんだけど、あまりにもわけがわからなくて脱力!

成子天神社(東京)・風神雷神

風の神さん

これはどうも印刷の上に神社の判が押してあるあたり、割とどこで出してもいいような汎用の図柄だと思われる。この神社自体、風神雷神とは特に関係ないはずだし、病気平癒祈願に何か特色があるわけでもない。

だけどそんなことはともかく、この絵で何の病気とも言わずにいきなり「平癒祈願」って・・・。
どうしてもこの一言を思い出さずにいられない。

「かぜひいてマンネン!」

東伏見稲荷神社(東京)

東伏見稲荷境内図

東伏見稲荷神社は、戦前、東京にも伏見稲荷をと創建されたところ。
本家の伏見稲荷までとはいかないが、拝殿・本殿の裏は森になっていて赤い鳥居が林立する中に「お塚」とよばれる祠が点在し、ちょっとした「お山めぐり」を体験できるようになっている。

この絵馬は、境内のそんな風景をあらわしたもの。社殿裏の鳥居群が左右対称に配列されている。実際はもっとごちゃごちゃとした印象だったはずだが、そんなことはもはや関係ない。画面中央に雲が配されていることから、ここに描かれているのはある種の理想化された別世界だということがわかる。

神社の境内が描かれるのは、ただの風景画としてだけではない。鎌倉時代に多く製作された宗教画の形式のひとつに、宮曼陀羅というのがある。誰もいない神社の風景を鳥瞰(ちょうかん)図的に表すことで、その聖地性を際立たせ、またその空間に凝縮された小宇宙を見出す。この絵馬の絵柄は、そういった描き方に近いように思う。

実際に境内を歩いてみると、本殿を中心に小さな稲荷のお塚が取り囲み、その祠の周りをさらにおびただしい狐の像などが埋め尽くすさまは、曼陀羅の構造とよく似ているように思う。そんな不思議な空間をさまようと、なんだかミニマルな浮遊感にとらわれて、そのまま異界へ飛んでいってしまいそうな気がしてくる(本家・京都の伏見稲荷はもっと飛び抜けてすごい)。

こういった感覚をすっきりと表現してくれているこの絵馬は、見ているだけで鳥居などの配置のテンポが心地よく、目と心を異空間へと誘ってくれる。

飛不動正宝院(東京)

飛不動

飛不動は、江戸時代に住職がご本尊の不動明王を携えて大峯山へ修行の旅に出ていたところ、ご本尊は地元の人々のアツい祈りに応えて江戸の現在地へひとり飛んで帰ってきたという不思議な由来をもつお寺。

それにちなんで飛行機の安全にご利益があるということで、なかなかの人気だ。

さて、そこでお不動様が飛行機を見守る様子を描いたのがこの絵馬。
飛行機の大きさを考えると、この不動明王、とんでもなくデカい。
なんだか色んな縮尺が狂ってきそうな絵だけど、これって山越阿弥陀来迎図なんかに似てなくもない。
そう、神仏というのはそもそも仏画などの中でも現実的なスケールを超えてデカく描かれるもの。
つまり、考えてみればデカくて当たり前。
だけどやっぱり、この何食わぬ顔でスッと横切る飛行機との取り合わせはシュールな感じがする。
これひとつのために、どんな仏画よりも、デカさが際立っている。
文明の利器と神仏という組み合わせも面白い。

この飛不動正寶院では、他にも、玉がよく「飛ぶ」ようにとゴルフ成功祈願があったり、飛ぶから落ちないということで合格祈願も盛んだったりする。東京では珍しい修験道のお寺でもあるため、参拝者の求めるところあればなんでもありの頼もしさだ。なにげにホームページもやたら充実していて楽しいので、一度のぞいてみてほしい。

飛不動正宝院ホームページ

赤乳神社・白乳神社(奈良)

春日大社末社の夫婦大国社境内の片隅には、びっくりするような絵馬の掛かる場所がある。
まさかあの超メジャー観光地の中に?という感じで、衝撃もひとしおだ。

とりあえず、つべこべ言わずに見てほしい。

上半身


下半身

はい、おっぱい。そのまんまですね。
そのまんますぎて、このインパクトにはもう言葉を失ってしまう。

では、下のは何だろう?
なんか女性の着物みたいだけど。
足だけ出てるのが奇妙な感じ。

ていうか、どちらも書いてあるんだけどね。
おっぱいは上半身、着物と足は下半身。
上半身はそのまんまなのに、下半身はやけに奥ゆかしかったりするんだ。

枠つきの古式絵馬の型に、白木のままマジックで手描きの脱力系手作り感。
こうやって枠がついているのは小絵馬の古い形を遺すものだが、最近はずいぶん減ってきてしまっているから貴重だったりする。加えて、体の一部やそれを表すものを描いて、その部分の健康・病気平癒を願うパターンは各地にみられる。こうした中で、女性の下半身を着物のすそでそれとなく表すというのも絵馬の世界では定型だ。乳房は関西地方を中心に、また着物のすそは足利、秩父、福岡などの各地で伝統的に描かれてきた。

この絵馬の奉納先は、春日大社や春日夫婦大国社ではなく、下半身は赤乳神社で上半身は白乳神社。ただしいずれも、社殿がそこにあるわけではない。にぎやかな夫婦大国社の境内にある小さな祠は、あくまで遥拝所。本体は、どちらも奈良市内ではあるが不便で目立たないところにひっそりとある。やはり小さな祠だ。どんな場所か気になる人は、下のリンク先へ!

ブログ「奈良の寺社」さんの「赤乳神社・白乳神社」紹介記事


下の写真は、遥拝所にこの絵馬が掛かる様子。わざわざ便利なところに場所を移して絵馬を奉納するあたりに、婦人病治癒祈願のニーズの多さが感じられる。

赤乳白乳遥拝所

安倍文殊院白山堂(奈良・桜井)

関連記事→春日夫婦大國社(奈良)2・縁結び

上のリンクでも書いたように、奈良では縁結びがナウいらしい(死語)。
思いもかけないような寺社で、「縁結びはじめました」的なものに遭遇してしまったりする。

ここ安倍文殊院も、そんな場所のひとつ。
普通に観光コースとして考えたら、快慶の文殊菩薩騎獅像を拝みにいくところ、のはずだ。
だが、そう思っていくと、この寺のあまりのエンターテイメント精神に舌を巻くことになる。
これについて語るのは別の機会に譲ろうと思うが、ここは思いがけないご利益や祀り方や体験型参拝が満載の、一大宗教テーマパークだったりする。そんな中にあるのが、このお堂。

安倍文殊院白山堂

そらきた、縁結び。マル縁というマークが、いかにもな感じだ。

これは白山堂というお堂で、白山菊理姫(シラヤマククリヒメ)という神を祀っている。
ククリヒメは、イザナギとイザナミが黄泉の国でケンカしたときに和解させたことと、名前が「くくる」という言葉に通じることから、縁結びの神とされている。そういう点では、もちろん縁結び祈願を前面に押し出すのも納得がいくというものだ。



では、これならどうか。








安倍文殊院縁結び・表


え、これは何かって?




絵馬ですよ、絵馬。

安倍文殊院縁結び・裏

このお堂に祈願するための、絵馬。

安倍文殊院白山堂絵馬掛け所



・・・ていうか、宗教ちがいますよね。

日本神話はどこへやら。あれ、そういやここは寺か。あれ?
もう何がなんだかフリーダムすぎて。

ちなみにこのタイプの絵馬も、寺社名だけ変えたものが奈良町方面にある御霊神社にみられた。もしかしたら探せば他にも使っているところがあるかもしれない。なんでもありの縁結びブーム、おそるべし。

春日夫婦大國社(奈良)2・縁結び

関連記事→春日夫婦大國社(奈良)1・宝づくし

さて、上記のように現世利益の濃厚な香りただよう夫婦大國社は、なにげにここ数年、大人気だ。
そのわけはコレ。

春日夫婦大国社・縁結び

絶賛売出中って感じですね。

これがもう、絵馬掛け所がぎっしりハートで埋め尽くされて収まりきらないくらい、無理矢理な折り重なり方で奉納されまくっているというわけ。

ぎっしり

み”っしり

これでもかというほどの詰め込みっぷり。

境内のいたるところに「えんむすび」の文字が躍っている。
ここの神社のただでさえ割と生々しい雰囲気に拍車がかかる。
夫婦の神様を祀っているだけにもともと縁結びのご利益は謳われていただろうが、それをさらに現代的にアレンジしたというところか。

ところで、昨年に遷都1300年祭をむかえた奈良は、観光PRと同時進行ということなのか、ちょっとした縁結びブームの様相を呈している。私はちょうど昨年の秋に訪れたわけだが、やたら色々な観光社寺で派手派手しい縁結びの幟と絵馬を見たような気がする。

特に驚いたのは、猿沢池の畔の、采女神社だった。ここにも、これと同タイプで神社名のところだけを変えた絵馬が掛かるようになっていたのだ。もっと前に来たときには、なかったと思うのだが…。

↓しかもこんな看板、絶対なかったってば。
采女神社の看板

それより、采女神社といったら、祭神の采女は悲劇のヒロインだ。帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しんで猿沢池に入水自殺したという、あまりにも悲惨な失恋話。そのために社殿がわざわざ池に背を向けているというくらいの、切なげな場所である。そこでキャッキャウフフと恋愛の成功を願うってどうなのよ。そりゃまあ、これも怨霊を鎮め祀り上げて逆に利益を得ようとする信仰のひとつだと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、なんだか複雑な気分だ。

他にも、これと別のタイプのハート型絵馬が二箇所で見られたり、同じタイプはもう一箇所あったりした。なんか節操ないなあ。おそらくハート型絵馬に限らなければ、縁結び祈願売出中はもっとあるはずだ。宿にも、ご丁寧に「縁結びパワースポット巡り」なんていうイラストマップが置いてあったりした。こんなところでも、ここ数年で新しく縁結び市場に参入した寺社がいかに多いかを推し量ることができる。

「縁結びはじめました」というフレーズが、ふと私の頭の中をよぎるのだった。

春日夫婦大國社(奈良)1・宝づくし

春日夫婦大国社・宝づくし

春日夫婦大國社は、オオクニヌシノミコトとスセリヒメの夫婦を祀る日本唯一の神社。あの世界遺産・春日大社の摂社である。だが、春日大社の歴史的な格調高い雰囲気とは打って変わって、今まさに生きている現役バリバリの民間信仰が垣間見られる場所だ。社殿も外観こそ古めかしいものの中の様子は賑々しく、大国様ご夫婦の姿がいたるところに掲げられていたり、スセリヒメの持ち物とされるしゃもじが山のように奉納されていたりと、雑多な感じで親しみやすい。それにスセリヒメというのがまた、ふくよかなおふくろさんのような庶民的な姿で、なかなかカワイイ。しゃもじは願い事を書いて奉納するので、絵馬と同じ機能を果たしているわけだが、それだけではなく何種類かの絵馬も用意されているし、縁起物もとても豊富だ。

そのなかでも、いかにも縁起物といった風なのがこれ。「宝づくし」という伝統的な図柄だ。ここでは打出の小槌、宝珠、宝鍵、分銅、七宝・丁子、隠れ蓑・隠れ笠が描かれているが、他にも色々なバリエーションがある。要はとにかく色々な不思議でめでたい宝物ということ。私はこの柄が大好き。見ているだけで何かいいことが起きそうな、満たされた幸せな気分になってくる。宝づくしは、大国様はもちろん、稲荷や弁天といったような、現世利益的な神仏を祀っているところで出している縁起物に多い気がする。それに、この柄の中の意匠がひとつでもみられる寺社は、それだけで生きのいいような感じがするから不思議だ。ここ夫婦大國社でも、大国様の持ち物とされる打出の小槌があったり、これまた宝づくしをカラフルに手描きした大きな福枡が授与されていたりする。宝づくしはやっぱり元気のもとだなあと、私は思ったりするのだった。

五条天神社(東京・上野)・的絵馬と船絵馬

五條天神社・的絵馬

五條天神社・船絵馬

上野の山の、不忍池に面した片隅にひっそりと鎮座する五条天神社。かつての寛永寺の名残りとして付近に点在する寺社の中でも、目立たないほうだったりする。この神社が実はがんばって面白い絵馬を何枚も出していることなど、ほとんど知られていないのではなかろうか。

上の写真は、的絵馬。そのものズバリ願い事という的に向かって、思いのたけをぶつける。そして下の写真は、宝船を描いた、船絵馬。こちらは、願いが叶ったときに御礼として奉納する。台形というのもめずらしい。こういった素朴な風習を遺しているのは貴重だ。それに、絵馬自体の作りも、焼印に藁紐と、手作りの民芸品的な温かみがあって味わい深い。

ところで、この宝船の絵柄は、同社で出している縁起物の、お正月用の宝船の絵に似せてあるようだ。京都にある同名の神社では日本最古の宝船図を出しているので、それとの関連も指摘されるが、真偽のほどは定かでない。絵柄も全く違う。東京・上野の五条天神社の宝船図は、霊山筆のコピーで、筆でササッと描いた感じの、力の抜けたシンプルな墨絵となっている。いずれにせよ、宝船といえば七福神だが、それ以前の、船と宝だけのものは数少ない。地味だけれど面白い縁起物を色々出しているところを見つけると、なんだか楽しくなってくる。

安井金比羅宮(京都)2・櫛まつり

関連記事→安井金比羅宮・もうかり絵馬

上のリンクからわかるように、絵馬に対して並々ならぬこだわりを持っている安井金比羅宮。
それだけに、もうひとつ変わった絵馬を出している。

櫛まつり・1

櫛まつり・裏

櫛まつりというのは、この神社で毎年9月の第4月曜日(9・4で、く・し…?)に行われる、古くなったり傷んでしまった櫛やかんざしに感謝をこめて供養するお祭り。時代風俗行列も行われる。特徴的なのは、各時代の髪型を再現するのに、全て地毛で結い上げていること。かつらと違ってボリュームこそ少ないが、まさしく自分の体そのものとしての日本髪をもつ女性がずらりと並ぶさまには、本物ならではの不思議と禍々しい迫力がある。

絵馬は2種類。上のものは半円形で、おそらく櫛をかたどっているのだろう。下のものも、まあ櫛の形なのだろうが、この四角くて上だけ弓形というのは、絵馬が現在のスタンダードな五角形の庵形になる前によく使われた形でもある。もしかしたら、そのあたりも意識されているかもしれない。

櫛まつり・2

「美顔」とあるのは、境内にある、この祭りのメインともなる櫛塚に、美顔のご利益があるとされているため。その昔、日本の女性の美しさの基準だったまっすぐな黒髪は、ほとんど顔と同じ扱いだったと言っていいだろう。それほど大切な髪の毛を美しく保ってくれる櫛に、女性なら誰もがいだくはずの、美人になりたいという願いを託す。

体の一部やそこに身に着けるものを描いて、その部分の健康を祈願するというのは、江戸時代からの小絵馬によくあるスタイル。目や手や性器、腹巻きなど、色々ある。この絵馬の日本髪の描き方も、それに準ずるものに見える。櫛の形に髪の毛の絵という、2つのシンボルをひとつの絵馬に盛り込むとは、さすが絵馬館を擁する安井金比羅宮。こうした工夫を、もっと多くの寺社が見習ってくれれば、現代絵馬ももっと面白くなるだろうにと思う。

安井金比羅宮(京都)1・もうかり絵馬

田口ランディ「縁切り神社」にも登場する、京都有数の怖いスポットが東山の安井金比羅宮。
ここで絵馬っていったらやっぱり、「○子と△男の縁を切ってください」みたいなアレでしょ?
写真もつけちゃって、トドメにゃ釘とか打っちゃって。

はい。そういうの、普通にあります。ここの神社は。
(さすがに写真つきのは目に付かないよう神社側で処分してるそうです)
山のように折り重なって掛けられた絵馬の中身を、少しでも覗けばもう大体そんな感じ。

ついでに、縁切りって言ったら、なにも男女の縁のことだけじゃない。

悪い仲間との縁を切ってください。
病気との縁を切ってください。
酒との縁を切ってください。

クスリとの縁を切ってください。

・・・ダメ。ゼッタイ。(涙

はい。どれも、本当にあります。切実です。
どれもあまりにも切実すぎて、むせかえりそう。
ここには人々のリアルな情念がこれでもかというほど渦巻いている。

だけど、この神社、ただの怖いスポットで終わってはいない。
境内にはなんと、絵馬堂を改装した「金比羅絵馬館」なるミニ博物館を併設。
これは絵馬好きにはたまらない。実は私も、絵馬蒐集にハマったきっかけのひとつがここ。

安井金比羅宮の絵馬堂に古くから奉納されていたプロの絵師による大絵馬はもちろん、昔の一般庶民が趣向をこらして手作りした小絵馬から、最近の漫画家や著名人の描いた絵馬までが一堂に会する。

やはり縁切り・断ち物祈願というのは実生活に根付いた願いであるだけに、江戸時代から小絵馬のバリエーションも多く、絵柄もストレートでわかりやすい。現在の安井金比羅宮に掛かるおびただしい数の禍々しい絵馬たちも、言うなればこの直系の子孫。そんな営みを長い歴史のなかで見守ってきた場所だからこそ、博物館を作ってこうした文化を遺し伝えようという気概が生まれたのかもしれない。

授与所で出している絵馬にも、並々ならぬこだわりが感じられる。
こちらは江戸末期の縁起物だった「藻刈舟」という絵を、戦後に安井金毘羅宮が絵馬にして売り出したもの。
「もうかり絵馬」とよばれている。

もうかり絵馬

哀愁漂う背中がなんとなくイイ感じの渋い絵柄だが、この人は一体なにをしているのだろうか。



少し考えてみてほしい。








答え。






「藻を刈ってる」(もぉかってる)。


・・・駄ジャレやないかい。


しかも、これだけじゃない。

雨の中だから「降るほどもうかる」。
さらに「一芳」のサインで、「もうかる一方」の異名をとったという「藻刈舟」作者の画家、森一鳳にあやかる。


実に、三重にもわたる駄ジャレ。
絵馬の世界では願い事を駄ジャレに託すことは度々だが、ここまで手の込んだものは他にないだろう。

おまけに、商売繁盛の神でもあったこの金比羅宮のマーク「マルキン」の焼印を落とすことで、駄目押しのようにマルキン祈願の意味合いを持たせているというのだから、あきれるくらい見事な縁起かつぎである。

私はこの絵馬をみて、絵柄に託された願い事を読み解く面白さに目覚めた。

だが、現在ほとんどの寺社で普通に売られている絵馬には、こういった趣向をこらしたものは決して多くはない。時代とともに風化してしまいそうなかつての小絵馬の面白味を後世に伝え続けていくためにも、こんなふうに復刻して頒布するというのは、他でももっとやってほしいものだ。

東大寺二月堂(奈良)・お水取り

お水取り・表

これが絵馬掛けの格子にさがっているのを見た瞬間、私は吹き出した。

なにしろ、とりあえず何の絵なのかわからない。
しかも小学生の男の子ががんばってお習字したけどつぶれちゃったような文字。
絵も、へろっとしているのにとにかく勢いがいいというか、子供の絵みたいだ。
誰かがその場で描いていったものかと思ったが、そうではない。
よくみれば印刷(シルクスクリーン?)なのがわかるし、同じものが周りに掛かってもいる。

それにしても、不思議な絵だ。
なんか火が燃えてるというのは、まあわかる。
「火防鎮護」というくらいだから、そうか、これは火事か。
パニックしつつも必死で消火活動を行っているところか。

てな具合に納得しかかったところで、落ち着いて考えなおす。
そう、ここは二月堂。二月堂といえば、「お水取り」である。
燃えさかるたいまつを掲げて階段を駆け上がる勇壮な儀式だ。

お水取り・裏

ていうか、こうやって裏にでも二月堂って書いてなくてこれだけポンと出されたら、なんだかわかんないよね。

だが、絵馬だからこそ、それでいいんだと私は思う。
もとより絵馬は、いわゆる上手な絵を描くことが目的なのではない。
絵心のあるなし、上手い下手に関係なく、とにかく自分の願いを表現できればいい。
どこまでも自然体で充分成り立ってしまうというのが、絵馬ならではというわけ。
そんな感じで狙っていない天然の脱力な絵を色々と見つけられるのは、絵馬をみていく楽しみのひとつだ。

もちろん、この絵馬はちゃんとしたプロの画家がデザインしたものだし、一見すると脱力系のようでも、きちんとした表現を狙っているのだろう。子供の絵というのは、まさに芸術の原点だともいうではないか。

なんも考えてないような自然体のプリミティブなタッチでありながら、そのためにかえって、炎をコントロールしながら全力疾走する激しさが純粋に凝縮されて伝わってくる。そんなところがいかにも絵馬らしくて、良い絵柄だと思う。色んな意味で(笑)。これだけの気迫があれば、火事にも余裕で勝てそうだ。
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鏑木麻矢

Author:鏑木麻矢
文筆家。著書「ニッポンのおみくじ」(グラフィック社刊)もうすぐ発売。2012年5月から2014年12月まで、㈱H.I.S.公式ブログとして「麻矢の不思議カワイイ!?ご利益モノがたり」連載。現在、当ブログ内にすべて再録。縁起物をこよなく愛する。約20年来、巷間の多種多様なおみくじを自らの足で歩いて独自に収集・研究中。絵馬コレクターでもある。かつて、仏像マニアのテレビ番組に出たことも。全ては神社仏閣・仏像巡り趣味から始まっている。旅と町歩き・路上観察、手仕事なモノ(郷土玩具、民藝)、美術鑑賞(月に最低2回位は美術館博物館に行くのが癒し)、古風なもの、レトロな雰囲気などが好き。何にせよ、知られざる面白いモノゴトを自分なりに発見していきたいです。他、天然石・鉱石やトランプ・占いカード等、気まぐれかつ雑多な収集癖あり。以前、下手の横好きでオペラを習ったこともあったり(今も観賞大好き)。何でもとことんハマるのが生き甲斐。

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