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仏像に恋した一人の男の話

聖林寺前の坂道 聖林寺門前より三輪山を望む 聖林寺山門


 一時間に一本来るか来ないかのバスを降り、田を少し横切ってから坂を登ると、三輪山とその周辺一帯を一望できる小高い丘の上に聖林寺はある。白壁の質素な山門を入ると、さるすべりの花が寂しい山あいの景色にそっと紅を添えている。まるで田舎の大きな古い家のような寺だった。狭い庭を抜けて玄関を入り、本堂では家の主のようにどんと座った巨大な石の地蔵に挨拶してから、こじんまりとした回廊をさらに階段で上がっていく。その先には、かの十一面観音のおわす部屋があるのだ。

 部屋に入ると、ガラス板の反射がきつい。その向こうに、観音は我関せずといった風情でたたずんでいた。私はおどろいた。写真だけでなら何度もみたことのあるその顔の、あまりのとらえどころのなさに。そこには言い知れぬ暗さがあった。どんなにこちらが視線を容赦なく浴びせても、そのすべてが深い闇の底に吸い込まれて消えてしまうような奇妙な感覚だ。どんなにその姿をこの目に焼きつけようとしても、はるか深淵を見つめる観音の眼差しと自分の視線が行き会ったとたん、その試みは虚しく霧散せしめられる。しかも、この幾重にも折り重なる陰影は、決して重苦しいものではない。今まさに虚空の彼方から舞い降りてきたかのような足先と天衣の裾は、単に物質としてそれがあるという重さを微塵も感じさせない。そして、今ここで生きて動いているのかと思うほどに、これまたとらえどころのない右手の指先が、この世ならぬどこかへそっと手招きしている。ガラス一枚隔てた先は、別次元のようだった。

 そんな不思議な感覚をしばらく味わっていたところ、突然、背後からゼェハァゼェハァと激しく息せきを切る音がしてきた。振り返ると、ひとりの老人がとても苦しそうに、しかし穏やかに「こんにちは。」と言った。私は思わず「大丈夫ですか?」と訊いてしまった。「ええ、もう年ですから。」と答えた小柄な老人は、こざっぱりと整えられた混じりっけの無い総白髪で、深緑と紺色がベースの地味なチェック柄シャツにチノパンというラフな格好ながら、上品な物腰であった。そしてその瞳は、やけに澄み切っていた。ガラスのこちら側は、その老人と私の二人きりだ。私たちはまたしばらく、それぞれのやり方で観音を見つめていた。

 「ここの観音さん、なんだか癒されるでしょう。」ふと老人が話しかけてきた。「そうですね、なんだか不思議な感じですね。」私は答えた。「ええ、いくら見ていても飽きないでしょう。」そう言った老人は、なぜだかとても満たされたような、あまりにも優しい声だった。「本当に、そうですね。」私は、ごく自然にそう答えるしかなかった。二人はまたそれぞれ、飽くことなく観音をながめ続けた。

 「ねえ、観音さんって、女の人なのかなあ…」不意をついた問いかけに、私は困ってしまった。もちろん、単に仏像の性別についてということなら、型どおりの説明をすることはできる。だが、なぜだかわからなかったけれど、それはためらわれた。私は柄にもなく「ええと、んー、と、どうかなあ…」などと一通り口ごもったあと、照れ笑いをしながら黙ってしまった。すると彼は、語りはじめた。「私はね、2・3年に一遍、ここに観音さんとデートしに来るんですよ。」私は、何かハッとした。少しだけ間をおいてから、彼はまた口を開いた。「それでね、いつも二・三十分は、こうしてずっと見ているんです。」これ以上、何を語る必要があるだろうか。私はこのとき、彼がここに入ってきてから今までのことが一度に腑に落ちた気がした。

 時間の許す限り、ふたたび観音と向かい合う。すると今度は、あらゆる感情を吸い取ってしまう限りなく優しい闇のおもてに、小さくぽってりとした唇と左手に捧げ持った花が、すうっと浮かび上がってきた。この暗さと深さ、そしてやわらかさ、ああ、女性にちがいない。バスの時間が迫っていたので、「ではお先に、ごゆっくり!」と、私は部屋を後にした。名残惜しく立ち去りがたい思いと、ここはあえて立ち去らねばという思いが、一瞬交錯するのをおぼえた。彼はガラスの向こうの観音と二人きりで、どんな世界をみるのだろう。そして、彼はあと何度、「彼女」と逢えることだろうか。そんなことを考えながら、私は帰り道を急いだ。
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鏑木麻矢

Author:鏑木麻矢
文筆家。現在、初の著書を執筆中。2012年5月から2014年12月まで、㈱H.I.S.公式ブログとして「麻矢の不思議カワイイ!?ご利益モノがたり」連載。現在、当ブログ内にすべて再録。縁起物をこよなく愛する。巷間の多種多様なおみくじを収集・研究中。絵馬コレクターでもある。かつて、仏像マニアのテレビ番組に出たことも。全ては神社仏閣・仏像巡り趣味から始まっている。旅と町歩き・路上観察、手仕事なモノ(郷土玩具、民藝)、美術鑑賞(月に最低2回位は美術館博物館に行くのが癒し)、古風なもの、レトロな雰囲気などが好き。何にせよ、知られざる面白いモノゴトを自分なりに発見していきたいです。他、天然石・鉱石やトランプ・占いカード等、気まぐれかつ雑多な収集癖あり。以前、下手の横好きでオペラを習ったこともあったり(今も観賞大好き)。何でもとことんハマるのが生き甲斐(悪癖?)。

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